ピアノの記憶

ピアノレッスンの前に

モモちゃんのピアノレッスンの前に、色々考えました。

モモちゃん、もしかしたらすごいピアノの才能があるかもしれない!

これは、ウキウキわくわくする考えです。妄想とも言います。親をやっていて、楽しい瞬間の1つです。モモちゃん、海外留学することになったらどうしよー、とニヤニヤしています。

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ピアノの嫌な記憶

しかし、いろいろ嫌なことも思い出します。

たとえば、私のピアノを指導する母の、ヒステリックな怒鳴り声と暴力。

ピアノに関して、母は、ちょっと、どうかしていました。

 

あるとき、母と私は「ピアノの練習をするよ」、「したくない」のやりとりを繰り返して、にらみ合いの状態になりました。ピアノの練習になれば、私のピアノが母を怒らせ、私は泣くことになるので、私は必死で抵抗しました。(このやりとりは、毎日ありました。そして毎日必ず私が負けました)

 

すると、業を煮やした母は突然、「こうしている間にも、1秒1秒死に近づいているんだよ」と言い出しました。

 

小学生だった私には、「死」は口に出すのも恐ろしい言葉でした。「いつか死ぬこと」を思い出した私は、衝撃と恐怖で抵抗の気力をなくし、ピアノに向かいました。

 

そこまでが前半戦。

母の暴言暴力と、それに抵抗する私の戦いは、ピアノの前に舞台を移して後半戦です。

 

なんか、そこまでするか、という感じです。

 

私の親は、私のピアノにかなりの熱量を注ぎました。しかし、私はピアノを弾けるようにならなかったし、ピアノを好きになることもありませんでした。

 

辞める直前、小学校高学年のころは、「ピアノ」ということばの響きがカッコ悪く、見た目も無駄に大きくて不格好、鍵盤を押せば誰でも音が出るのもバカチョンカメラみたいでダサいと、本気で思っていました。

(バカチョンカメラって、使ってはいけない言葉でしたっけ。すみません。ボタンを押すだけで誰でもそれなりにキレイな写真が撮れるカメラのことです)

 

母は、不甲斐ない娘のことを、残念だ、と思ったでしょうか。それとも、私のピアノについて、自分のやりたいように、自分のできる限りのことをやったからと、諦めがついたでしょうか。

 

ピアノの穏やかな記憶

私の実家にはグランドピアノが2台ありましたが、母の実家(私の祖父の家)には、ピアノが3台ありました。グランドピアノが2台とアップライトが一台。

 

大正生まれの祖父も、ピアノを弾いたのです。当時では珍しかったと思います。

 

穏やかで優しかった祖父のことを考えると、ささくれだった心が少し癒される気がします。