英語育児についてまた考えた(娘・小1)

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関連記事:英語育児について考えること(娘・小1) - 英語育児―モモちゃんの子ども英語

 

この前、モモ(小1)は保育園の頃のお友達何人かと、ぷち同窓会みたいなことをしました。

違う小学校に入学した子とは、半年ぶりの再会になりました。

 

子どもたちを勝手に遊ばせておいて、親はそれを見守りながらお茶とおしゃべり。

子ども同士で遊んでくれて、「ママー!」と呼ばれることもほとんどなくて、子連れで集まるのもずいぶん楽になりました。

 

ちなみにそのお茶会では、(子どもが英語を習っているとかなんとかという)子どもの英語の話は一切出ませんでした。

 

英語育児仲間欲しい・・・

 

 

ところで、そんな楽しい会でも、ちょっと悲しいことはありました。

みんなが手をつないで踊りながら、TVアニメの歌か何かを歌い出したのですが、モモはその歌、知らないのです。

困ったようにぽつんと座っていました。

ぽつんと。

 

はい、うちの英語育児のせいです。

 

モモに子ども向けテレビ番組を見せていないからこんなことになりました。

 

 

なんの歌かわからないので、私が家でフォローしてやることもできません。

(それに、家に帰ってからフォローしても遅すぎます)

 

私は(心の中で)腕組みをして考えました。

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で、私は、

「人間は、欲しいものを何もかも得ることはできない」

と思うのです。

 

司法試験に合格したいなら、遊びは我慢しなければならない。

 

そういうことなのです。

両方は無理です。

学生時代の遊びは、ただ楽しいだけでなく経験になったり思い出になったりします。そこから人間として成長するでしょう。

それは価値あるものです。しかし、司法試験に取り組むならば、諦めなければなりません。少なくとも大部分は。

 

何もかもを得ることはできない。

何かを得ようとすれば、何かは諦めなければならないのです。

 

もちろん、両方の言語、両方の文化を理解し尊重できるように、とは思います。

大事なことです。

 

とくに、司法試験は自分で取り組むか否かは決められますが、英語育児は私が主導していることです。

モモに良かれと思ってやっていることです。

そこに責任を感じます。

 

完璧にはできなくても、両文化をよく理解できるように、これからもサポートしたいと思います。

 

 

 

モモは今、

Moldylocks and the Three Beards (Princess Pink and the Land of Fake Believe, 1)

という本を読んでいます。

 

とても面白いらしいです。

 

これがいくらかでも埋め合わせになるといいのですが。