昔、本でこんな話を読みました。
バレエを頑張っている女の子。仮にAちゃんとします。中学生か高校生でした。
発表会で主役を目指していたのですが、お教室ではもっと上手な別の子が選ばれてAちゃんは涙をのみました。
その後、Aちゃんは別のバレエ教室の発表会を見に行きました。
そのとき上演された演目は、たまたまAちゃんの発表会の演目と同じでした。
ただ、ゆるいバレエ教室だったらしく(?)主役を踊ったのは、Aちゃんよりずっと下手な子(B)でした。
この話をふとしたタイミングで何度も思い出します。
以下、私の感想。
こういう場合、Aちゃんはもやもやするでしょう。
人間ができている人なら、もやもやすることもないのでしょうか。
私なら、
「下手だった」
「下手なバレエ教室の下手な主役だった」
と思うだろうし、自分がその役を踊れなかったことと切り分けて考えるのは難しいと思います。
「下手なくせにあの役を踊れてずるい」
「Bがあの役ができるのは、教室のレベルが低いから」
と思うと思います。
腹いせに、
「私だったら、下手なのに(十分な技術がないまま)あの役を踊りたいとは思わない」
「Bは恥ずかしくないのかしら」
と思うかもしれません。
でも、そういう感情って醜いですよね。
頑張りつつも楽しく踊って拍手をもらい、満足しているBの方がどんなに健全かわかりません。
そして、はたから見れば単なるアマチュア、AもBも大したレベルの差はないのです。
AとBの差は、見る人が見ればわかるでしょうが、
バレエに疎い人から見ても、バレエのトップ層から見ても、大した差ではない。
私は、これが「鶏口牛後」ということなのかなあと時々思い出します。
私は若いころ、一歩でも前へ、一つでも上に、と頑張ってきたタイプでした。
それが正しいし、人間のあるべき姿だと思っていました。
(バレエは全然やったことはありません)
(今はのんびり生きています)
でも、いろいろな生き方があるよな、と、今では思います。