ピアノと英語と日本語と

昨日、モモ(年長5歳)がピアノをやりたがりました。

ママからレッスンほしい

と言われました。

ママにピアノを教えてほしい的なことが言いたかったようです。

変な日本語。

これは、英語育児のせい?

それとも関係ない?

 

すかさず「ママにレッスンしてほしいのね」

と言い直しました。

 

なんというか、英語育児を始めた当初想定していたより、モモの日本語に不安を感じる場面が多いです。

英語育児のせいか、それとも関係ないのか、わかりません。

他の5歳児がどんな感じなのかも、知らないし。

 

私はもう、このまま英語育児の道を進みますが、(つまり、日本語も英語も育てる意思を持って頑張りますが)、しかし、英語育児を始めた当初のように自信をもって「英語育児をしても日本語の発達は大丈夫!」と言いにくくなってきました。

 

よく気をつけなければならないと思います。

 

日本に住み、日本語オンリーの保育園に朝から午後6時〜7時まで通い、両親と日本語で話し、学習教室を含む日本語の習い事にも複数通い、週末は祖父母宅で日本語のテレビ見放題、日本語の本を読むのが割と好きで得意なモモでさえ、チラチラ私を不安にさせるのですから、よそのお子様に「何も心配ない!英語やろう!」とは言いにくいです。

 

一応補足すると、モモはたまに変な表現をして私をスポット的に心配させる以外は、ちゃんと日本語を話しています。

日本語の方が断然得意です。

 

 

 

日本語も気になるけれど、モモのピアノも問題です。

今までは「モモがやりたがらないから〜」と楽をしていましたが、本人が(気まぐれかもしれませんが)言い出したのだから、考えなければなりません。

 

私は幼い頃からピアノをやりましたが、どうも、うまくいきませんでした。

 

親の教育虐待的スパルタ教育がここでも爆発し、毎日のピアノの練習は地獄でした。

いつ果てるともわからぬ、暴力と暴言、「◯◯ちゃん(友達)はもう◯◯を弾いているよ!」などのプレッシャー・・・

 

私の両親も、大正生まれの祖父母も、ピアノが弾けたのに、そして家にはグランドピアノが2台もあったのに(父のピアノと母のピアノ)、私も姉もピアノが弾けるようにならなかったという、冗談のような結末でした。

 

ついに親が諦めて、ピアノをやめるということになった時(小学校高学年頃)、親は「後悔するよ」と言いましたが、私は後悔したことはありません。解放されてホッとしました。

 

できるようにならなかったのはまあいいとして、嫌いにはさせないでほしかったというのが、親に言いたいことです・・・

 

そういうわけで、私とピアノの関係はこじれにこじれているのです。

ピアノを弾くと、嫌な記憶が蘇るのです。

あれほど苦しんだ私が、どんな顔と声で、「ネコの手で!」とか「卵を持つみたいに!」と子どもに言えるでしょうか。

(ピアノを弾くときの手の形の話です)

一方で、モモが「ペッタリとした手」でピアノを弾いているのをみて、平静ではいられません。

それは、とんでもない、決して許されない罪悪だからです。

そんなことをすれば、手を叩き潰されたって文句は言えない、と叩き込まれました。

 

 

また、モモは、気が向いたときだけピアノを練習したいのです。毎日練習なんか、したくないのです。

私はそういう練習の仕方もアリだと思います。遊びながら細々でも続ければ、少しはうまくなるでしょう。簡単な子ども歌のメロディをいくつか、弾けるようになるかもしれません。

 

しかし、世の中のピアノレッスンは、(ちょっと大袈裟にいえば)毎日練習して当然、先週よりも上達していて当然、練習なしでレッスンに来るなんてダメな子、という感じだと思います。

そんなピアノレッスンの世界にモモを預けてもうまくいかないと思うのです。

 

そうすると、おうち英語ならぬ、おうちピアノでしょうか。

 

私が頑張るしかないのでしょうか。

 

モモにはリトミックレッスンには通わせています。

リトミックみたいに、週一回の楽しい英会話教室みたいに、そのときだけ楽しくピアノに触れることができる教室があればいいのですが。