英語は「楽しく」学ぶ必要があるのか、という話

『 10万組の親子が学んだ 子どもの英語「超効率」勉強法 』という本を読みました。

10万組の親子が学んだ 子どもの英語「超効率」勉強法

 

まあパルキッズの理論について書いてある本なのですが、勉強になりました。

うちではパルキッズはやっていないし、暗唱もフラッシュカードもしないのですが、それでも勉強になりました。

 

ところで、この本では、かけ流しなどのインプットが何より大事だとした上で、

言語を身につけるのに好き嫌いは関係ない、「入力」さえできているのであれば「楽しく」なくても英語は獲得される

と書いていました。

 

これを読んで、いろいろ考えさせられました。

 

確かに、「楽しく」というのが、面白おかしくとか、イキイキにこにこワクワク取り組む必要がある、ということでしたら、それは必ずしも必要ではありません。

 

かけ流しはたんたんと、子どもの意識に上らないようなレベルで行えばいいのです。

 

しかし、あらゆる感情を大きく「快」「不快」に分けるとして、英語を「快」の感情と結びつけることは絶対必要だと思いました。

 

 そして、知らない言葉というのは、意味が分からないわけですから、「不快」と結びつきやすいということは事実だと思います。

 

だから、うまく言えないのですが、楽しい英語活動には、「つまらない英語勉強の反動」にとどまらない積極的な意味があると思いました。

 

 

「英語が好きというのはおかしな話だ、英語はただの言葉なのだから。

日本語を好きも嫌いもないでしょう。」

という言説も時々聞きます。

 

しかし、ことばを覚えた赤ちゃんのとき、言葉は

優しい抱っこ、人々の笑顔、楽しい絵本やおもちゃetc.と共にあったと思います。

 

言葉は「快」に属するもの、楽しいもの、大好きな人たちが使っているすてきなものだったと思うのです。


もし、聞こえる言葉が罵り声、怒鳴り声、喧嘩の声ばかりという赤ちゃんがいたとしたら、その可哀想な赤ちゃんは言葉を十分に発達させることができないのではないでしょうか。

 

 

英語育児に失敗ということはほとんどないと思いますが、もし、英語を決定的「不快」と結びつけてしまったら、それは失敗だろうなと思います。